【雑談】ゲームが以前ほど楽しめなくなった話

事の発端

BF6を返品

ただいま絶賛されているBF6(Battle Field 6)。自分も例にもれず購入してみました。
凄い面白いと思います。ですが、自分の衰えを感じすぐに返品してしまいました。

ゲームが悪いのではなく、自分が衰えているのです。明確に・・・

雑談として最近ゲームについて思っていたことを書かせていただきます。
駄文ですが・・・

最近うっすら思っていたこと

ゲームが楽しめない・・・

大学生のころ、CoD、BF、WoTといろんなゲームを毎晩夜遅くまでしていました。
あまりにも楽しくて留年の危機にまで追い込まれたほどです。
今でもあの時くらいゲームを楽しみたいと素直に思っています。

ですが、なぜかハマれないんですよね・・・

面白みを感じなくなってしまいました。
これで勝ったとて、何になるのかと思ってしまうのです。
趣味なので、意味を求めるものではないことは重々承知です。
気分を悪くしてしまったらばごめんなさい。

追い打ちをかける衰え

冒頭でも書きましたが、明確に反応速度、エイム、状況把握能力が落ちています。
ほんとに自分だけワンテンポ遅れている体験をしている気分です。
回線にラグがあるときみたいな。
別に自分がうまかったとは思っていませんし、実際うまくはなかったですが、ハマることができる程度には戦績を出せていたものと思っています。

この状態でやっても勝てないので、面白みも半減なわけです。

とはいえ、今から練習してうまくなろうという気持ちもない。

もう詰んでいます。待っているのはゲーム離れしかないですよね。

ほんとにこれで終わりなのか

メタルギアソリッドΔ

最近出た「メタルギアソリッドΔ」ってゲームご存じでしょうか。
昔にPS2で発売された「メタルギアソリッド3」のリメイク版になります。
ストーリーはそのままに、現代のグラフィックになって再度発売されたと考えていただいていいと思います。
一番最近はこのゲームをやっていました。
最近やったゲームでは久しぶりに最後まで(エンディングまで)プレイしたゲームでした。

やっぱり面白いんですよね。このゲーム。

ゲームができなくなったわけではないとこの体験を通して思いました。

ですが、以前のようなゲームから得られる刺激はなくなったように感じます。

ゲームから得ていたこと

自己効力感と刺激

自分なりに思うことは2つ。
「自己効力感」または「刺激」を得たかったというところが主だったのかもしれないと考えています。

①自己効力感

活躍すること。それを楽しんでいた。
活躍することで「自己効力感」を感じていたのかもしれないと思いました。
学生の頃は自分で主体的に行動することはありません。
ましてや、「〇〇のおかげでこれが出来た!」と褒められることは、あまりないと思います。
(学生時代から他利の考えで挑戦できていた人は違うかもしれないですが)

でも、ゲームでは試合の最後にスコアという形で成果が表示され、自分がどれだけチームに貢献したかを見ることができます。
これが高ければ、自分はチームにどれだけ貢献できたか(自己効力感)を得ることができたわけです。
うまくいかなくても何回でもチャンスはめぐってくるわけですしね。

②刺激

学生時代、自分の責任でリスクを負いながらも選択することがどれだけあったでしょうか。
仕事のように成果に追われながら日々頑張ることはどれほどありましたか?

自分は殆どありませんでした。

そんな日々だったので刺激を求めていたのかもしれないと思いました。
社会人になってから、好むか好まないかにかかわらず、常に刺激にさらされます。
それなのに仕事以外で刺激いらない・・・となるわけです。
刺激のない学生(自分)にとって適度なプレッシャーだったわけですね。

まとめ

社会人は大変だがゲーム以上に楽しい経験もあるのかも

学生の頃には感じたことのない刺激と、自分の人生というかつてないリスクを負いながらも成果を追い求める社会人。

リスクが大きい分、成果を得た時の喜びはひとしおです。
しかも成果を得るためには結構な時間がかかります。

でも、だからこそ得られる喜びは至高のものであるのかもしれないです。

その喜びを知り始めている今、ゲームから得られる喜びでは満足できない。というのが背景にあるのではないかとおもいました。
あくまで自分の考えです。
人それぞれあると思います。
ゲームがうまい方もすごいと思っておりますし、いろんな解釈があると思っています。

いろいろある中の一つの解釈としてここに記載した次第でした。

コメント

タイトルとURLをコピーしました